2025.02.03
日記は時代映す「小さな歴史」 情景想像
過酷な体験を共有 「日記文化」研究
明治学院大・田中祐介さん
終戦から今年で80年。戦場や内地で過酷な体験をした人から直接話を聞く機会は、時とともに限られていく。そんな中、「無数のひとり」が書いた日記を文化的側面から研究する明治学院大専任講師の田中祐介さん(47)は、日記や手紙などの私的文書「エゴドキュメント」について、「戦争体験を継承する上で今後、さらに重要性を増すことになる」と話す。
「戦時中の子どもというと『軍国少年』『軍国少女』をイメージしがちだが、そう単純ではない」。田中さんはまず、先入観に縛られず日記を読み解くことの大切さを指摘する。
例えば、1944年12月~45年4月に福岡県の国民学校初等科の女子児童が書いた日記には当初、体操の時間に走り幅跳びで思うように跳べなかったことを「三米(メートル)跳べなかったのでくやしかった」と記すなど、豊かな感情が表れていた。
だが、45年3月の複数のページには、教員による大きなバツ印と「何をしているか、こんな日記ではだめだ!」という●責(しっせき)が朱書きされていた。これを境に、硫黄島の戦いについて「真に頑張ろう」と記すなど、戦争の話題や戦争を支持する感想が増えていく。田中さんは「教員の期待に応えようと日記を書くうちに、心の底からそう思うようになった一例ではないか」と話す。
岡山県の国民学校初等科の女子児童の日記は、後日に本人が読み返したとみられ、「組で私一人今日まで続けて来た。うれしい…」との追記があった。クラスで日記を欠かさず付けていたのはこの児童だけだったと考えられ、田中さんは「よい学徒であろうとした真面目な子で、日記を書かなかった児童も多くいたことに留意すべきだ」と指摘する。
日記は個人の「小さな歴史」だが、歴史上の出来事が登場し、当時の社会情勢も反映される。内容は著者の境遇によってさまざまで、特定の社会集団の典型ととらえるのは難しい。ただ、「その時代の経験などを伝える指標であり、より『大きな歴史』とのつながりや異なる点を検証することで、既存の歴史への理解がより深まる」と田中さん。同時期の複数の日記を読み比べる「並べ読み」の有効性を提唱する。
田中さんら研究者でつくる「近代日本の日記文化と自己表象」研究会は、国文学者(日本中世文学)の故福田秀一さん(1932~2006年)が残した「福田日記資料コレクション」の調査・研究に取り組んできた。
福田さんは元国際基督教大教授で、幕末以降の日記5千点以上を収集。商業出版された日記の書籍のほか、自費出版の書籍や日記の研究書など多岐にわたり、直筆の日記帳約500点も含まれる。研究会はホームページに研究成果を掲載するとともに、コレクションをデータベース化し、公表している。
近代の日本ほど日記が盛んな例は珍しいという。田中さんは「明治期以降の学校教育の影響が大きい」と指摘。小学生の夏休みの絵日記を例に「生活管理や自己表現の手段として学び、習慣となって定着した」と解説する。インターネットの普及に伴い、日記帳に書き留める習慣は薄れつつあるが、手段がブログや交流サイト(SNS)などに変わっただけで「むしろ活発になっているかもしれない」と田中さんはみる。
日記から戦争体験を知る場合、大切なのは想像力だという。「文字の向こうにある別の時代を想像することで、著者と体験や思いを共有できる。いずれは、そうした『想像力の時代』が訪れるのではないか」
◇
日記の文章は旧仮名遣いを現代仮名遣いにするなど修正しました。
2025年1月5日 東京新聞朝刊
https://www.tokyo-np.co.jp/article/376268