2025.02.15
2025年
戦後80年 川崎で5月
コンサート 沖縄出身の先輩の一言に触発 「平和意識」奏でる被爆ピアノ 昭和音大生
準備に熱
戦後・被爆80年を迎える中、広島の原爆投下に耐えた「被爆ピアノ」を使ったコンサートが5月3日、昭和音楽大(川崎市麻生区)で開かれる。「関東の人は平和意識が低い」-。企画立案した同大の学生を突き動かしたのは、沖縄県出身の先輩が放った強烈な一言だった。(佐藤圭)
アートマネジメントコース3年生の広瀬亜実さん(21)がその一言を知ったのは1年生の秋、教職科目の授業中のこと。沖縄県出身の音楽家・仲里幸広さんが作詞作曲した合唱曲「HEIWAの鐘」を練習していると、担当教員が、1年前の同じ授業で起きた出来事をふと漏らした。「沖縄出身の学生が突然、『言いたいことがある』と前に出てきて、『関東の人は平和意識が低い』と言った」
太平洋戦争末期の地上戦で県民の4人に1人が命を落とし、今も在日米軍専用施設・区域の7割が集中する沖縄では、若い世代も戦争と平和の問題に無関心ではいられない。一方、富山市出身の広瀬さんは「平和への意識すらなかった」。
同コースでは3年生の実習科目「企画制作演習」で、学生が実際にコンサートをプロデュースする。広瀬さんは企画を考える際、あの一言が真っ先に思い浮かんだ。「平和コンサート」「楽器」などをネットで検索し、目に留まったのが、戦争や原爆の恐ろしさを伝える被爆ピアノだった。
被爆ピアノの巡演コンサートを各地で年間150回以上開催しているのは、広島市の調律師で被爆2世の矢川光則さん(72)だ。矢川さんは、爆心地3キロ圏内で爆風や熱線にさらされた7台を修理・保管している。
広瀬さんの「被爆ピアノ」案は、昨年6月の最終選考で採用された2案のうちの一つに決まった。指導する中尾友彰准教授(48)は「沖縄出身の学生の言葉をきっかけとした企画の意図にうたれた。被爆ピアノを見つけたアンテナ力もよかった」と評価する。
広瀬さんは企画書を書く過程で、矢川さんと電話でスケジュールなどについてやりとりしていたが、被爆ピアノの音色に触れたのは、昨年10月の東京都大田区でのコンサートが初めてだった。矢川さんとも会場で対面を果たした。「被爆ピアノのコンサートを自分がやっていいのかと不安だったが、矢川さんの熱い気持ちに直接触れて前を向けた」と振り返る。広島にも足を運んだ。中学時代の修学旅行以来だったが、当時の記憶はほとんどない。今回は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などを丹念に見て回った。
コンサート当日は、矢川さんが自ら運転する4トントラックでピアノを運び、舞台上で平和への思いを語る。使用するピアノは、ヤマハかホルーゲルのアップライト型を予定。矢川さんは「若い人が単に平和を願うだけでなく、行動を起こしてくれるのはありがたい」と喜ぶ。
広瀬さんは「関東でも戦争の記憶を風化させず、平和な未来を築いていく意識を広めたい」と来場を呼びかけている。
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コンサート「平和をうたう~生きつづける被爆ピアノが伝えたいこと~」は5月3日午後3時、小田急線新百合ケ丘駅近くの昭和音楽大南校舎5階ユリホールで開演。同大出身の音楽家や地元のゆりがおか児童合唱団などが出演する。全席指定で一般3千円、学生1500円。問い合わせはアートマネジメントコース企画制作室=メールart-3@st.tosei-showa-music.ac.jp=へ。
★詳しくはコチラ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/385986