2024.06.27

はて?朝ドラ「虎に翼」明治大学だけが女性に司法の道を開いた理由は…
あんみつ「竹もと」モデルは今も都内に

 NHKで放送中の連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデルは、女性初の弁護士・三淵嘉子(みぶちよしこ、1914~84年)だ。戦前、明治大(千代田区)の法学部で学び、戦後は判事や裁判所長を務めるなど、女性への偏見や差別で覆われた「ガラスの天井」に挑み続けた。「はて?」。明治大はなぜ、女性に司法への門戸を開いたのか。

 「女性弁護士を養成する国の動きがあって、その議論の中に明治大の教員らが入っていた。開明的な人たちが大学にそろっていた」
 ドラマの法律考証で協力する明治大法学部の村上一博教授はそう解説する。

 この議論は、1933年の弁護士法改正(36年施行)につながる。弁護士になれるのは男性だけだったが、女性にも認められた。明治大はそれを見越して29年、専門部女子部法科(3年制)を設置、卒業後に男性と一緒に学ぶ法学部に編入できる道をつくった。事実上、女性が弁護士になれるのは明治大だけだった。

◆学長「男尊女卑を打破」

 村上教授は特に、女子部創設当時の学長で大審院長(現在の最高裁長官)も歴任した横田秀雄の名を挙げる。ドラマでは学長の存在感は薄いが、横田は開校式で「男尊女卑の旧習を打破し、女子の人格を尊重し、法律上、社会上の地位を改善し向上させる」と目的を高らかに掲げたという。
 三淵は32年に女子部に入学。その後編入した法学部について「男子学生の勉学の場を拝借させていただいているという感じ」と語っていた。村上教授は「女子は異質に見られていたのではないか。ドラマのように男子とピクニックに行くというのはなかったようだ」。男女の壁は厚かったらしい。

 三淵は38年、他の女性2人とともに、現在の司法試験にあたる高等試験を突破した。女子部の入学者数は当初は90人ほどだったが、38年には30人弱に落ち込んでいた。村上教授は「学生が集まらず、廃止論がくすぶっていた。3人が合格しなかったらつぶれていたかも」と話す。

 ドラマは主人公が偏見や差別に「はて?」と問い、己の道を進む。評判は上々のようだ。社内の女性記者に聞くと、「ドラマのような女性への空気感はまだある」(40代)、「闘う女性だけでなく闘わない女性も描き、差別を問題提起している」(30代)と共感も。「差別的な男性が出てくるといたたまれない気持ちにもなるが、毎回見ている」という男性記者(50代)もいる。

 村上教授によると、法学部は今、全国的に政治や経済学部に人気面で後れを取る。「法は堅いイメージがあるが、つくるのも人間、運用するのも人間。血が通い、熱い思いが込められていることをドラマを通じて感じてほしい」

◆三淵さんも味わった? 甘味処今も
 ドラマで主人公や同級生が勉強や議論をする甘味処の「竹もと」。モデルは、明治大から徒歩10分ほどにある1930年創業の「竹むら」(千代田区神田須田町1の19。午前11時~午後8時、日、月、祝日休み)だ。経営する堀田正昭さん(76)は「父や母に聞くと戦前は明治の学生が多く来ていた」と話す。三淵の来店記録はないが、お汁粉やあんみつを楽しんだ可能性はある。
 村上教授は「大学近くにあったとみられる銀座若松の支店には行っていたようだ」と紹介する。銀座若松(中央区)は1894年に創業し、昨年12月に閉店。あんみつの発祥とされる。

◆企画展 開催中
 明治大学博物館(千代田区神田駿河台1の1)では、女子部の軌跡をたどる資料などを紹介する企画展を開催中。入場無料。休館日は日曜、祝日(夏季休業期間は土曜なども)。問い合わせは博物館=電03(3296)4448=へ。

2024年5月17日 東京新聞朝刊

https://www.tokyo-np.co.jp/article/327595