2023.07.14
行田の厨子、綱吉奉納か
家紋の特徴から判明
ものつくり大が調査
行田市須加の長光寺にある市指定有形文化財の厨子(ずし)「阿弥陀堂宮(くう)殿」に残る家紋が、江戸幕府五代将軍、徳川綱吉(一六四六~一七〇九年)の時期の特徴を持つことが、ものつくり大(同市)の調査で判明し、四日発表された。同大の横山晋一教授(建築史)は「綱吉が母親の眼病が治ったことに感謝し、厨子の奉納を発願したのではないか。厨子には非常に価値がある」と話している。(菅原洋)
同大によると、厨子は最大の高さ約二・四メートル、幅約一・一メートル、奥行き約〇・五メートル。家紋は正面の扉に直径約七センチが四つ、屋根に同約三~約五センチが三つ付く。
徳川将軍家の家紋で知られる「三つ葉葵(あおい)」は、将軍の時期によって家紋の文様に微妙な違いがある。横山教授が厨子の家紋を分析した結果、葉一枚の葉脈の模様が二十一に分かれる特徴や、茎から葉につながる部分の太さなど形状の違いから、綱吉の時期に相当すると判明した。厨子の建立は宝永年間(一七〇四~一〇年)ごろとみられる。
同寺の建立は一五九三(文禄二)年と伝わる。江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」などによると、須加村の農民の夢枕に仏が現れた後、庭から仏像が掘り起こされ、信仰されたと伝わる。この話を聞いた近くの忍城主の阿部氏が江戸の寛永寺の子院に仏像を移し、綱吉の母桂昌院が仏像に祈願したところ、眼病が治ったという。
厨子はその当時に綱吉が奉納したとみられ、後に仏像のお告げによって厨子とともに須加村に戻されたと伝わる。同寺には厨子と桂昌院に関する伝承は残るが、今回の調査で初めて綱吉との関連が分かった。
横山教授は「桂昌院は三つ葉葵とは別の家紋を持ち、今回の解体調査で、その紋は厨子にはないと確認できた。将軍の母親であっても三つ葉葵を使うのは考えにくい」と指摘。同寺の福島伸悦(のぶよし)住職は「厨子に非常に価値があると分かり、驚いている」と話している。
厨子には伝承の仏像は残っていないが、須加村の農民がいたと伝わる場所で、同寺から東へ約四百メートルの境外仏堂の阿弥陀堂に安置されていた。近くの利根川の河川改修により、厨子が境内に移転するのに合わせ、同大が昨年七月~今年五月に調査した。修復された厨子は八月一日午後一~同五時、一般公開する予定。事前予約は不要。
2023年7月5日 東京新聞朝刊埼玉版